ハイハイで散歩中

面白いと思ったものをただただ紹介したり、またはただの雑記に成り果てそうです。

ハイハイで散歩中

感情は伝染るんです。

1.僕の習性

僕はなにやら自意識過剰なようで、人混みを歩く際は気をつけてないと眼光が鋭くなってしまう。なるべくニュートラルな表情を浮かべるよう努めてはいるものの、その内、もう外界のことなど知るもんか、オレはオレでやらせてもらう、といった中2病的思考が頭を占め、そうなると必然的に広範囲に渡っていた自意識を自分にのみ限定させるため、その決断に至るまでの経緯分の覚悟のせいで、一層眼光に磨きがかかってしまう。ただ恐らく、自分に自意識を限定したと言えども、「一層眼光に磨きがかかってしまう」、と自覚できていることから、全く自分のみの閉鎖空間とはいかず、やはりしばしば広範囲に自意識を飛ばしているのだと思う。
とまあ以上が僕という人間の習性の極一部である。

2.習性の健在

電車内でもその習性は健在である。
僕は席が空いていてもほとんど座らず、というのは、席を譲る局面がきた際の逡巡やら少しの勇気やら、時には何故かの罪悪感を抱きたくないからである(このことは以前ブロクに書いたので興味のある方は読んでいただきたい)。

nocafein.hatenablog.com

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だから僕の電車内でのベストプレイスは、自動ドアの前の角である。ドアに寄りかかることができるし、寄りかかったまま外を眺め、黄昏た雰囲気に酔いしれることだってできる。
しかし、自動ドアの前の角は2つあり、僕と同じような思考回路の人間が結構いる(と、考える)。
だから僕が嬉々としてそのベストプレイスに逃げ込むことができたとしても、大抵の場合、もう片方の角(対面)に誰かが立っている。
恐らく多くの方が悩んだことがあるのではないかと思う。
降りる駅までどうやって対面の他人をやりすごそうか。

スマホに逃げ込む。

・読書に逃げ込む。

・狸寝入りし、自分に逃げ込む。

・体の向きを変え、新たに生まれた視界に逃げ込む。

・対面の相手にメンチを切る。

さすがに最後のは選択しないが、僕は相手にではなく、外の風景にメンチを切り、実は外にメンチを切っていると見せかけて、間接的に相手にメンチを切っているというか、威嚇をするという選択をする場合がある。馬鹿だと自分でも承知済みである。
ただ、何故このような子供じみた行為に及ぶかと言えば、相手に見られていると感じるからだ(まさに自意識過剰のロールモデルのようである)。
僕は先制パンチはしていないつもりで、相手が先にやってきたと思い込んでいる(当然だがあくまで想像の範囲は出ることができない)。
だから僕は相手を威嚇する。
極めて幼稚だと思う。
これは数ある選択肢の中でも絶対に間違った選択だ。
自分勝手にもほどがある。はたして理性があるのかと疑いたくなる。
だから常々僕は反省している。
何か相手を威嚇しなくても良い方法はないだろうかと。
そこである日、気がついた。

3.気づいたこと

僕が外出する際、たまたまアパートの住人と出くわした時、相手があからさまに気まずそうに目を伏せているので、なんかそれは違うのではないかと思い、なにかを含ませた言い方で、「こんにちは」と挨拶すると、相手は少し驚いた様子であったが、「こんにちは」と返してくれた。
これでいいのだと思った。
気まずい空気が好きな人は恐らく少ない。そもそも「気まずい」という言葉がマイナスなニュアンスの概念で、「マイナス」は「嫌い」とほぼ同義だ。
人は他人と出くわした際、まず、警戒する。だが、警戒を長引かせることは身体によくない。だから、その場からせっせと逃れるか、警戒をプラスの安堵に変えるか。
マイナスよりプラスの方がいくらかよいだろう。
よって僕はアパートの住人は実は挨拶したがっているのではないかと結論付けた。
なにより僕が挨拶したがっている。
他人の気持ちは人間の性質上、分かりえない。それでも分かりたい場合、根拠とするのは自分だろう。自分が思うことは分かる。これは確かだ。
ということで僕はなるべくアパートの住人に挨拶するよう心がけている。
また、仕事場で一緒になった人と最初に挨拶を交わす際、機嫌悪くした場合と、明るくした場合とでは相手の態度が変わる。
これは当然のことのように思うが、この時一体何が起こっているかと言えば、相手は対峙した他人の様子を窺っているのであり、そこから自分の取るべき行動を思案しているのだ。
言ってしまえば、感情は伝染する。
合わせ鏡のように。
鬱病を患っている人をサポートしようと一緒にいる人が、その人も鬱病になってしまうという話しを聞くが、恐らくそういうことなのだろうと思う。

4.最後に

以上のことから、自分の態度が相手の態度を決めてしまうと判断した僕は、電車内のドアの前で対面に立たれた人には、その人にメンチを切るのではなく、また外に向けてメンチを切って間接的に相手を威嚇するのでもなく、
スマホをいじるか、読書をするか、目を閉じるか、向きを変えるか、そして、なるべく柔和な表情で、電車内を過ごすよう努めている。
そして、電車内だけではなく、日々の生活もなるべく威嚇しないで過ごしたいものである。

了です。