1歩1歩、確かめるように。
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SNSで他人の投稿に関して半数程度がイライラしているという記事を読んで思ったこと

日常

SNSに関するアンケートをロシアの情報セキュリティー会社が日本を含む世界18ヵ国で行った。その中でも、日本で回収した1000人分のアンケート結果の内、SNSで嫌になった理由で、「他人が自分より良い人生を送っていることを知った」が54%で最多だった。つまり、他人の楽しい投稿に半数以上の人が嫉妬して、イライラしているという実態が浮かび上がった。という旨の内容の記事(毎日新聞が発信)を見つけた。

 

他人が自分より良い人生を送っていることを知った他人
他人が自分より良い人生を送っていることを知った

他人が自分より良い人生を送っていることを知っ

 

1.マッチポンプ的前置き

この記事は、ただこういう結果になった、という事実しか提示しておらず、別に主観的分析は介入していない(ただ、内容のピックアップの仕方は主観を感じさせるが)。
だからこの記事に反論しようとすると、一体誰にどこを反論してよいのか分からなくなるし、そもそも「反論」などという概念を浮かび上がらせたこと自体、お門が違う行為をしていることになる。
だからこの記事に対して批判的に意見を述べようとしても、火のないところに自ら火事を起こし、そして自ら消化活動にあたるという、マッチポンプ的なパッケージングに陥りかねないので、(すでに着火し始めているかもしれないが、それは想定外のボヤということにしてほしい)この記事に言及しようとするなら、「へー」か、「まあそうなるよね」か、「意外だな」、などと、当たり障りのない無機的で食レポ的な感想にとどめておくことしかできない。
だが、それでは僕の今回の記事が成り立たない。
だから、この記事を元に色々おせっかいに考察してみようと思う。

2.隣の芝生が青く見える

まず、この結果を見て、そういう結果になるだろうなと思った(なんか後出しジャンケンのようで嫌だが)。
人はどうしても他人と比較してしまう。
そして、人(芝生)は他人のこと(隣の芝生)を青く見るようにできている。
SNSのシステム上、それが発動するのは自明だ。
だからこの結果も自明のように思う。
また、他人の投稿を見てイライラしてしまうのは、それを要求・欲してないのに、まるで当て付けのように、無理やり幸福を押し付けているように感じるからではないのか。
勘違い野郎の幸福の押し売り(のように時に感じるかもしれないということです)。
だがこのように感じるのは、この世界を歩こうにも、自分に自信がなく、自分以外の拠り所を探している下地(人間の性質)があってのことだとも思う。
以下に、以前、比較のことや、幸福のことについて書いた記事を貼ったので興味のある方は読んでいただけると幸いです。

nocafein.hatenablog.com

3.「じゃあやめればいい」という極論

前者「あいつの投稿見てるとイライラしてくるんだよな。なんでわざわざそんなの投稿したいんだ?誰もお前のこと興味ねーっての」
後者「そんなにイライラするなら、じゃあSNSなんかやめればいーじゃん」
という会話を経験したことがある。
後者の発言を受けた前者は、そのあと何も言えなくなる。ぐうの音も出ない。
ただ、この会話は成立しているようで、実はお互いの問題の共有ができていないために、成立していないのではないかと思う。
お互いの答えが一致していない。
つまり、そもそもお互いの問題が一致していないということだ。
前者は、SNSをやめたいなどとは一言も言ってないし、この話しの場合、言外の意味が隠されているとも思えない。
恐らく、前者はSNSをやめたいとは思っていない。やめたいと思っていたら、そのことについても言及するのではないかと思う。
つまり、前者の発言は、最初から同調を求めている発言であり、溜まったストレスフルを吐き出そうと、いわゆる排泄行為をしているのに過ぎないのではないか。
だから後者の返しは、前者には予想外のことであり、虚を衝かれたのであり、おまけに誠に正論のように聞こえるので、ぐうの音が出なくなる、というロジックなのではないだろうか。
少し、話しを脱線させると、この二人の発言は、そこだけピックアップすれば、成立している。
だがこの世界にはコンテクスト(文脈)というものがある。コンテクストなしでは会話とはいわない。そして、会話だけではなく、各人にもコンテクストがあるといえる。それはその人の「流れ」というか、「歴史」といえばよいのか。つまり、「今」のその人が最新なわけで、それは常に更新、上書きされていくわけだけど、その「今」のその人がそうなった流れ、経緯というのが、いわゆる「コンテクスト」とよべるのではないだろうか。
したがって、前者・後者2人の会話をコンテクスト的に大きく捉えれば、会話はやはり不成立していると、そう捉えることも可能であると思う。

閑話休題

イライラしているのにやめようとは思わないのは何故なのか?(勿論やめようと思う人はいくらでもいるだろう。ここではやめたくない人について考える)
人間は他人と自分を比較してしまうと言ったが、仮に世界にたった1人だけの場合、人間は自分に意味を与えることができなくなるという前提(下地)がある。
だから、周りの他人を見て自分の位置や、意味、レゾンデートル(存在理由)を自覚するのだと思う。これは人間の本質のようなものだ。
だから、たとえSNSではなくても、現実世界(ネット空間を仮想世界とした場合に対しての便宜的呼称)のレベルでも他人の動向が気になってしまうのに、システム的に人間の本質とマッチングしているSNSに一度(ひとたび)触れてしまったら、たとえイヤでも見ずにはいられなくなるのではないだろうか。

4.承認欲求

また、他人のSNSの投稿がイラつくのに、何故自分も同じように投稿してしまうのか。
それは自分の幸福を共感して欲しい、ということではないと思う。
もっと独善的な、「自分は幸福だと自覚したいがための確認作業」という名の投稿のようなも気もするし、そしてそれを他者に認めてもらいたいという承認欲求も働いていると思う。
共感ではなく、承認だ。
それと、その承認欲求合戦の場と化している下地がさらにその欲求を駆り立てる。
そこから集団心理みたいなものも生まれて、みんながそうやっているから自分もやらなければいけないという、主体的ではない、客体先行の心理が働いているのではないかと思う。

5.最後に

最後に、僕は客観的にものごとを捉えることが重要だと思っている。SNSにしても、なぜ自分がこのシステムに身を置いているのか、客観視し、自覚的になるといいと思う。なぜ、みなが投稿しなければならないのか。
僕は否定するつもりは全くないし、僕だって利用しているし、投稿している。
なによりSNSは便利で画期的だ。メリットもあればデメリットもある。この先このデメリットは、システム的に、目に見える改善はもはやできないだろう。
であれば、客観的にとらえ、端的に事実を把握し、そういうものだと自覚することで、他者には分からないが、目には見えない個人レベルでの改善は可能なように思う。
まあうまく付き合ってくしかないのだと思う。
結局、マッチポンプな記事になってしまったようで、申し訳ないです。

了です。